太平洋戦争〜もう一つの世界線②

こんにちは講師のたかえもんです。

太平洋戦争の末期、アメリカが主導して日本本土を侵攻する「ダウンフォール作戦」が立てられました。

「ダウンフォール作戦」は「オリンピック作戦」と「コロネット作戦」の二段階の作戦から成り立っています。図式化すると、「オリンピック作戦」+「コロネット作戦」=「ダウンフォール作戦」となります。

まず九州南部を制圧する「オリンピック作戦」を実施し、その後関東を直撃する「コロネット作戦」という段取りが予定されていました。

最初から首都東京のある関東へと侵攻すれば良さそうなものですが、航空機の航続距離が足りません。

航空機が戦争に使われるようになってから、航空機のサポートが得られない戦いは敗北するという鉄則が生まれます。

航空機には航続距離の限界があり、戦闘で航空機のサポートを得るためには基地をしっかり作る必要があります。

アメリカは日本からのハワイ真珠湾の奇襲を受けてから半年ほど、日本の占領地拡大を許します。しかし、開戦半年ほどで発生したミッドウェー海戦に勝利し、ゆっくりと反攻を開始します。

アメリカの反攻は航空機のサポートが届く範囲を広げるため基地を作り、作られた基地から飛び立つ航空機のサポートで勝利し、さらに基地を前進させるという方針をとっていました。

マリアナ、ルソン、レイテ、沖縄と順々に制圧していきますが、これらの土地を制圧する目的は航空機の前進基地を作るためです。

マリアナを制圧することでルソンを攻撃する基地が作り、ルソンを制圧してレイテを攻撃する基地を作り、レイテを制圧する。

このように航空機のサポートが可能な範囲で戦うため、航空機の基地が作れる土地の制圧を重視していました。

今年で返還50周年を迎えた沖縄は、太平洋戦争中アメリカに制圧されました。なぜアメリカに制圧されたかというと、日本本土を攻撃する航空機の航続距離を確保できる基地を作るためです。

沖縄戦に勝利したアメリカ軍は予定通り、沖縄に日本本土を攻撃できる基地を作ります。

沖縄に航空機の基地を作ることに成功したアメリカですが、首都東京を攻撃するには航続距離がまだ足りません。

東京に侵攻するためには、あと1つ東京に近い場所に基地を作る必要がありました。

沖縄からの航空機の攻撃が届き、制圧して基地を作ったら東京に攻撃が届く場所としてアメリカが目を付けたのが九州南部でした。

こうした事情から、日本本土に侵攻をかける際にまず九州南部を制圧する計画が立てられます。これが「オリンピック作戦」です。