太平洋戦争〜もう一つの世界線①
こんにちは講師のたかえもんです。
8月15日は終戦記念日でした。この日は、1941年から1945年まで3年9ヶ月に渡る太平洋戦争が終わった日とされています。しかし、これは少し不正確な理解だったりします。
戦争というものは、負けた側と勝った側の両方が文書にサインをすることで正式に終了します。
日本は1945年8月15日の18日後の9月2日に降伏文書(ポツダム宣言)にサインをしました。そのため、9月2日が太平洋戦争の正式な終了日と言えます。
では終戦記念日とされている8月15日はどういった日なのでしょうか。
じつは8月15日の前日の8月14日に、日本政府はアメリカなどにポツダム宣言の受け入れを伝えていました。そして8月15日にラジオ放送という形で国民に降伏の受け入れを知らせました。このラジオ放送が有名な玉音放送です。
8月15日は国民に負けを認めたことを知らせた日であり、そういった意味では戦争が終わった日と言えます。しかし、手続きとして正当な戦争の終了は9月2日であることは知っておきたいです。
太平洋戦争は軍人230万人、一般人80万人、合計310万の死者を出しました。これは当時の総人口の5%近くです。
身近な人の多くが亡くなったため、悲惨な記憶として80年近く語り継がれています。
これほど多くの死者を出した戦争は日本の歴史上他にありません。
しかしながら、これ以上の死者を出す可能性もありました。
それは日本本土への侵攻計画、「ダウンフォール作戦」とそれに対抗する本土決戦の「決号作戦」です。
アメリカに代表される連合国は日本が最後まで降伏しない場合に備えて、日本本土を制圧する作戦を立てていました。その作戦名が「ダウンフォール(滅亡)」です。
これに対して守る側の日本は「決号作戦」を用意して、日本列島内部で徹底抗戦する計画を立てていました。
実際には「ダウンフォール作戦」も「決号作戦」も実施されずに日本の降伏となりましたが、もしこれらの作戦が実行されていたら日本は間違いなく破滅的な死者を出していました。
日本はどうしようもない自分勝手な振る舞いをして、太平洋戦争という破滅に進みましたが、最後の最後で取り返しのつかない破滅だけは回避したと言えます。
歴史を学ぶ意義はさまざまですが、1番大きな意義は「過去の失敗を知り、同じ失敗を繰り返さないようにすること」にあります。
失敗もまたさまざまですが、戦争というのは最上級の失敗です。そうした失敗を繰り返さないために、過去の戦争を直視する必要があります。
次回から、「ダウンフォール作戦」や「決号作戦」がどういうものだったのかをお伝えしていきます。