アフガニスタン「攻撃」とイラク「戦争」の違い⑨まとめ

こんにちは講師のたかえもんです。

前回まで長々とアフガニスタン攻撃とイラク戦争にまつわる話をしてきました。話が長かったので、まとめてみます。

現在、地球に存在する国家のほぼすべてが国際連合に加盟しています。国際連合には国際連合憲章という、国際連合の原則などが定められた文書があります。国際連合に加盟する国は国際連合憲章に書かれた内容を受け入れないといけません。

国際連合憲章では、2条4項で「国際法上の戦争」と「事実上の戦争」の両方を禁止しています。国際連合に加盟する国は、当然この条項を守らないといけません。つまり、国際連合に加盟している国はすべて「国際法上の戦争」と「事実上の戦争」を行ってはならないのです。

ですが、3つ例外があります。その例外とは「①国際連合の安全保障理事会決議に基づく措置」「②個別国家による自衛権の行使」「③旧敵国に対する措置」です。

これら3つにはそれぞれ違いがありますが、基本的には同じことを意味しています。それは、反撃の許可です。

国際連合憲章 2条4項で、「国際法上の戦争」と「事実上の戦争」の両方を禁止しています。ですが、それを破ってしまう国が現れる可能性は当然あります。その場合には反撃をしてよいというのが、おおまかな内容です。「相手が襲い掛かってきたから、身を守るために反撃をすることは許される」。単純化するとこういうことです。

さて、本題のアフガニスタン攻撃とイラク戦争の話をします。

アフガニスタン攻撃は、アメリカが同時多発テロによる被害を受けたことが発端です。同時多発テロを主導したテロ組織がアフガニスタンに存在していました。現地のターリバーン政権はこのテロ組織をかくまっていました。そのため、アメリカは自衛権の行使を国際連合の安全保障理事会に認められ、アフガニスタンにあるテロ組織やターリバーン政権を攻撃しました。これがアフガニスタン攻撃です。

イラク戦争は、イラクのフセイン政権が1990年に湾岸戦争で敗北したことに原因があります。湾岸戦争で敗北したイラクのフセイン政権は、核兵器などの大量破壊兵器を作らないという約束を国際社会にしました。しかし、イラクのフセイン政権はその約束を守っているかをチェックする査察団の活動を何度も妨害します。この妨害行為が湾岸戦争時の取り決め違反であるとし、アメリカ軍を中心とする有志連合が再びイラクのフセイン政権を攻撃します。これが2003年のイラク戦争です。

アフガニスタン攻撃とイラク戦争も宣戦布告がなされていません。そのため、国際法上は「戦争」ではなく、「事実上の戦争」という位置づけになります。

宣戦布告を伴う「国際法上の戦争」と、「事実上の戦争」の区別は一般にはなされません。そのため、「国際法上の戦争」も「事実上の戦争」も両方とも戦争という呼び方がされています。

そういった意味ではアフガニスタン攻撃を、アフガニスタン戦争と呼んでも問題ありません。

ただ、こうした事情を細かく説明しないといけないので、アフガニスタン攻撃は教科書通りにアフガニスタン攻撃とテストでは書くべきです。

1991年にソ連が崩壊し、国際社会は比較的安定した時代をむかえました。しかし、2001年の同時多発テロを皮切りに、アメリカはアフガニスタンやイラクを攻撃するなど国際社会は再び大きく揺れだします。日本では2011年に東日本大震災が起こり、津波でたいへんな被害を受けます。

このあたりの内容までは入試で出題されますので、受験生は押さえておきましょう!