アフガニスタン「攻撃」とイラク「戦争」の違い⑦
こんにちは講師のたかえもんです。
前回まで、国際連合加盟国に許される武力行使についてお伝えしてきました。今回は、アフガニスタン攻撃ついてお伝えします。
2001年9月11日に、アメリカでハイジャックされた飛行機が世界貿易センタービルや国防総省に突入するという同時多発テロが起こりました。このテロの指導者をアフガニスタンのターリバーン政権がかくまっているとして、アメリカはアフガニスタンに攻撃を行いました。この攻撃は、同時多発テロの翌日に安全保障理事会で可決された国際連合安全保障理事会決議1368号に基づいたもので、個別的自衛権並びに集団的自衛権の発動という名目のもと行われました。アメリカ軍とその同盟国は2001年10月7日に「不朽の自由作戦」を発動し、アフガニスタン国内にあるテロ訓練組織やターリバーン政権の軍事施設を攻撃しました。この攻撃の結果、ターリバーン政権は崩壊し、アメリカに友好な新政権が発足することになりました。
アメリカとその同盟国によるアフガニスタン攻撃は、実質的には戦争と言えますが宣戦布告を伴っていないので「交際法上の戦争」には該当しません。また、手続き上は国際法に従って安全保障理事会の許可を得ているので、国際連合憲章をしっかり守っています。
国際連合が発足して以降、「事実上の戦争」はいくつも起こっています。ですが、それらのほとんどは国際法の裏付けを得られるように根回しをしています。国際法を真っ向から無視する国は存在しないとすら言えます。
実際に国際法を守ることができているかどうかは大きな問題ですが、国際法という建前があるおかげで、力のある国が一方的に力を振るうという事態を抑止してくれています。国際法や国際連合は、力のある国が好き勝手することを完全に防ぐことはできていません。しかし、ある程度は抑えることができています。完璧にはほど遠いですが、最悪よりはましな状況を作り出してくれているのです。
話をアメリカのアフガニスタン攻撃に戻すと、アメリカは「不朽の自由作戦」でターリバーン政権を崩壊させること成功しました。ですが、それからずっとアフガニスタンは不安定な状況が続き、アメリカ軍はアメリカが支援する政権のためにだらだらとアフガニスタンで治安戦を継続することになります。
2001年から20年間アフガニスタン国内での紛争に関わった末に、アメリカ軍はコストの多さに耐えきれず撤退しました。後ろ盾を失ったアフガニスタンの親米政権は、地下に潜伏していたターリバーン政権の攻撃を受け転覆し、ターリバーン政権が復活します。アメリカはベトナム戦争に続き、史上二度目の敗北を経験することになりました。
2001年から2021年までアメリカ軍がアフガニスタンで起こした戦いを、アフガニスタン紛争あるいはアフガニスタン戦争と呼びます。国際法では、「戦争」という言葉は宣戦布告を伴わないといけません。アメリカは宣戦布告をしたわけではないので、この戦いをアフガニスタン戦争と呼ぶのは国際法的には不正確です。国際法での正確さを求めるなら、アフガニスタン紛争と呼ぶのが正確です。ですが、普通はそうした厳密性は求められません。アフガニスタン戦争という呼び方で問題はありません。
中学校の歴史の教科書では、同時多発テロを受けてアフガニスタンに攻撃したことが書かれています。しかし、その後20年にもわたる戦いのことは書いてありません。なので、入試や定期テストに関して言えば、アフガニスタン攻撃は覚える必要がありますが、アフガニスタン戦争という言葉は覚えなくて大丈夫です。