アフガニスタン「攻撃」とイラク「戦争」の違い⑧
こんにちは講師のたかえもんです。
前回は同時多発テロ事件とそれに続くアフガニスタン攻撃のお話をしました。今回はイラク戦争についてお伝えします。
2003年にアメリカ軍とその連合軍はイラクのフセイン政権に対して大規模な軍事攻撃を行いました。これがイラク戦争と呼ばれるものです。では、イラク戦争にはどのような国際法上の根拠があったのでしょうか?
2003年のイラク戦争のおよそ13年前、1990年に湾岸戦争がありました。2003年のイラク戦争は、湾岸戦争の時に決議された国際連合安全保障理事会決議678号と687号を法的根拠としています。
1990年にイラクのフセイン政権は、隣国クウェートに侵攻しました。当時イラクはクウェートに多額の借金をしていて、それを踏み倒すためにクウェートへ侵攻したのです。
イラクのこの行為は明らかに国際連合憲章2条4項に違反します。そこで国際連合の安全保障理事会は国際連合安全保障理事会決議678号を決議し、イラクに対する武力行使を許可します。この許可を受けて、アメリカ軍を中心とする多国籍軍がイラクを攻撃しました。これが湾岸戦争です。
最終的にイラクは降伏し、国際連合安全保障理事会決議687号を受け入れます。
国際連合安全保障理事会決議687号では、イラクに様々な義務を課します。その中に、「核兵器や生物化学兵器などの大量破壊兵器を所有したり製造したりしない」というものがありました。この義務に関する条項が2003年のイラク戦争につながります。
イラクは「核兵器や生物化学兵器などの大量破壊兵器を所有したり製造したりしない」という国際連合安全保障理事会決議687号を受け入れましたが、湾岸戦争の戦後処理が終わると国際連合の査察をたびたび妨害します。イラクは、本当に国際連合安全保障理事会決議687号を守っているかの外部からのチェックを拒んだりしたのです。
査察の妨害をやめるよう安全保障理事会はイラクに何度も勧告します。ですが、なかなか話がまとまりません。そこで登場するのが「安全保障理事会決議の復活論」です。
2003年のイラク戦争の法的根拠である「安全保障理事会決議の復活論」は、次のような論理です。
・1990年の湾岸戦争は、国際連合安全保障理事会決議678号を法的根拠としている。
・国際連合安全保障理事会決議678号は、イラクに対する「すべての必要な手段を許可」するものである。
・ 国際連合安全保障理事会決議678号は、「核兵器や生物化学兵器などの大量破壊兵器を所有したり製造したりしない」という国際連合安全保障理事会決議687号のイラク側の受け入れによって停止している。
・ところがイラクは、国際連合安全保障理事会決議687号の受諾によって発生する査察受け入れ義務を守らず、妨害している。
・これは国際連合安全保障理事会決議687号の受け入れを拒否する行動である。
・よって、中断していた国際連合安全保障理事会決議678号は復活し、イラクに対する武力行使が再開される。
このような理屈でアメリカとその有志連合軍はイラクのフセイン政権を攻撃し、フセイン政権を崩壊させました。これが2003年のイラク戦争です。
「安全保障理事会決議の復活論」を直接の根拠として、アメリカ軍とその有志連合軍はイラク戦争を起こしました。しかし、これは強引な論理展開であることは否めません。
またイラク戦争のあと、フセイン政権が核兵器や生物化学兵器などの大量破壊兵器を所有していた証拠は発見されませんでした。このことから、イラク戦争の正当性について非難の声があがっています。
イラク戦争がはたして法的に正当であったのか。これは厄介な問題ですが、国際法的な意味での「戦争」でなかったのは確かです。というのも、宣戦布告をしていないので国際法上の「戦争」の定義を満たしていないからです。イラク戦争は一般的な意味での戦争であって、国際法上の「戦争」ではないのです。