太平洋戦争〜もう一つの世界線⑪

こんにちは講師のたかえもんです。

日本は本土決戦を諦め、ポツダム宣言を受け入れて降伏しました。

どうして日本は本土決戦を諦めたのか。前回はその理由の1つとして、疎開の問題をお伝えしました。今回は物流の問題をお伝えします。

日本を降伏させるため連合軍(アメリカ軍)は大規模な空襲を行いました。この空襲で多くの都市が焼け落ちたことは有名ですが、機雷が大量にばらまかれたことはあまり知られていません。

機雷とは海に落とされる爆弾で、船が近くを通ると爆発して船にダメージを与え、沈没させたりします。

この機雷を連合軍(アメリカ軍)は約1万2000個ばら撒き、日本国内の船を航行できなくさせました。

機雷による日本の海運を壊滅させる作戦を、連合軍(アメリカ軍)は「飢餓作戦」と名付け、1945年3月27日から開始しました。

日本の海に大量の機雷がまかれたことで、日本は船を使った物資の輸送が不可能となります。

船を使った物資の輸送と言われても、あまりピンとこない人は多いかと思います。船の輸送ってそんなに大事なのか、実感が湧かないのではないでしょうか。

ですが、船を使った輸送は大変重要で日本の生命線そのものです。

現在の話ですが、日本は貿易の輸出入の99.6%を船の輸送に頼っています。飛行機を使った輸出入はわずか0.4%の割合しかありません。

また、日本国内の現在の物資の輸送も、43.7%を船の輸送に頼っています。

船を使った物資の輸送は飛行機の何倍もの時間がかかりますが、1度に大量の物資を運ぶことができます。そのため、運ぶ物資が多くなればなるほど物資1つあたりにかかる燃料費などのコストは低下します。

もし船が使えなくなり航空機だけでしか物資の運搬ができなくなったとしたら、物価は何倍何十倍にも跳ね上がります。

こうした事情は航空機や自動車が今ほど普及していない戦中の日本にとっては、より一層重大です。

日本は山が多く、陸路で物資を運ぼうとしても限られた狭い道しか使えません。道路事情が現在よりも悪い戦中の日本ではすぐに渋滞が起きてしまいます。円滑な物資の輸送は陸路ではうまくいかないのです。

1945年3月27日から始まった連合軍(アメリカ軍)による大量の機雷敷設により、日本国内の海上輸送は壊滅します。

戦中と言えば、物資がなくなり食べるものに苦労するという話が多く残されています。このことは空襲による工場や都市の破壊も大きな原因ではありますが、船が使えないことによる物流の崩壊が1番の原因です。