太平洋戦争〜もう一つの世界線⑩
こんにちは講師のたかえもんです。
九州南部を制圧する「オリンピック作戦」と九十九里浜と茅ヶ崎から東京へ侵攻する「コロネット作戦」の二段階からなる「ダウンフォール作戦」。これに対抗して日本は「決号作戦」を計画しましたが、最終的には抗戦を諦め降伏しました。
どうして徹底抗戦を諦めたのか、これを知ることは現在の日本を深く知ることにもつながります。というのも、日本の上層部が「決号作戦」を諦めたのは、日本に固有の地形的特徴や資源の自給の問題が関係しているからです。
日本がポツダム宣言を受け入れて降伏した理由はいくつもあります。その中でも大きな要因を見ていきます。
まず、戦場となる地域での住民の避難がうまくいきそうもなかったことがあげられます。
住民の避難といっても、これは住民の命に配慮してのことではありません。軍事的な障害があったのです。
九州南部の戦線や九十九里浜・茅ヶ崎の戦線では、「沿岸配備師団」が敵上陸部隊を拘束し、そこに「機動打撃部隊」が急行して損害をあたえる手はずになっていました。
ところが戦場になる地域の住民が避難しないでいると、「機動打撃部隊」は動きを住民に邪魔されることになります。
戦場となる地域から逃げようとする群衆が「機動打撃部隊」の動きを妨げてしまい、「機動打撃部隊」は戦場に急行できなくなるのです。
これでは連合軍(アメリカ軍)に損害を与える目算は成立しません。そのため、住民の避難は作戦遂行上、必要不可欠でした。
軍上層部は九州南部では20万人、関東では80万人を疎開させる必要があると算出していました。
新宿駅の1日の乗降客は350万人です。それを考えると20万人や80万人程度ならなんとか疎開できそうな気がします。
ですが、日本の地形がそれを許しません。山が多すぎるのです。
日本の国土面積は約38万㎢です。これは世界201カ国中第61位の面積です。よく日本は狭いと言われますが、単純な面積は世界でも大きい方に入ります。
ところが、可住地面積という視点で見ると違ってきます。
「可住地面積」とはざっくり言うと、「人が住める面積」のことです。森林や湿地、標高500メートル以上の土地といったものを除外した場所を指します。
日本と国土面積が同じくらいの国にドイツがあります。ドイツの国土面積は約36万㎢で、やや日本の方が大きいです。
ですが、可住地面積で比較すると逆転します。ドイツの可住地面積は約24万平方㎢に対し、日本の可住地面積は約10万㎢しかありません。
ドイツの可住地面積は国土の67%ですが、日本の可住地面積は国土の27%しかありません。
可住地面積が27%ということは、日本の国土の4分の1しか人が住むのに適さないことを意味します。
日本と同様な島国にイギリスがあります。イギリスの国土面積は日本よりも少ない約24万㎢ですが、可住地面積は約20万㎢で国土の85%を占めます。
可住地面積で比較するとドイツは日本の2.4倍、イギリスは2倍も大きいのです。
こうした比較から分かるのは、日本は「狭い島国」なのではなく、「可住地面積が少ない島国」ということです。
現在の日本人約1億2千万人のうち、1億人が標高0メートルから100メートルの地域に住んでいます。山には全然住んでいません。人は平らな土地に住むのであって、事情がない限り山には住みません。こうした人口分布の傾向は戦中も変わりません。
山が多く可住地面積が少ない地形のため、いざ戦闘になるからといって南九州の20万人や関東の80万人を疎開させようとしても、この人数を受け入れられるキャパは存在しません。
無理矢理疎開させようとする場合、山に20万人や80万人が逃げることになります。ですが山は人が住めるようには整備されていません。
何十万人分の食料、水分、風呂、トイレ、寝起きするスペースといったものは山にはありません。
そんな何も無い中で数十万人が何日何週間と過ごすことになるのですが、こんなことは無理です。遭難者、負傷者、行方不明者、死者が出るだけです。空前絶後の規模の姥捨て山が出現することになります。
住民の避難が上手くいかない中で本土決戦をするしかありませんが、それは作戦計画の破綻を引き起こします。
「ダウンフォール作戦」の発動まで数年の猶予があれば避難の問題はなんとかなるかもしれませんが、「オリンピック作戦」発動まで2ヶ月半、「コロネット作戦」発動まで5ヶ月半しか猶予はありません。
これでは本土決戦なんて無理です。