太平洋戦争〜もう一つの世界線④
こんにちは講師のたかえもんです。
ダウンフォール作戦の前段にあたるオリンピック作戦は、11月1日に九州南部の3箇所に上陸して制圧するという作戦でした。
これに対して日本は「決号作戦」という対抗計画を立てていました。
「決号作戦」は、いよいよ敗北が決定的になった1945年1月20日に作成されます。この作戦は日本を7つの地域に分ける防衛計画で、決一号作戦から決七号作戦まで制定されました。
決一号作戦:北海道・樺太・千島
決二号作戦:東北
決三号作戦:関東
決四号作戦:東海
決五号作戦:近畿・中国・四国
決六号作戦:九州
決七号作戦:朝鮮
これが決号作戦の地域分けです。
日本もアメリカの狙いが九州と関東にあることを正確に予測していて、7つある決号作戦のうち関東と九州を対象とした決三号作戦と決六号作戦に力を入れました。
オリンピック作戦でアメリカは九州南部の3箇所を上陸地点と計画していましたが、日本側もアメリカ軍の上陸地点をほぼ正確に予測していました。というのも、大部隊が上陸できる海岸はそう多くないため、上陸予定地点を割り出すことは簡単だったからです。
日本軍はオリンピック作戦で九州南部に上陸しようとするアメリカ軍に対して、水際防御を考えていました。
水際防御とは、上陸しようとする敵をその直前で攻撃することです。上陸直前は海から陸に上がるため、部隊の移動速度が落ちて無防備になります。この瞬間を攻撃するのは古今東西のセオリーです。
日本は上陸する直前の敵艦隊に対して、航空特攻や水上・水中特攻を予定していました。
特攻(特別攻撃)なんてむごい方法をとらなければいいと思えますが、それ以外に有効な方法がないほど日本は追い詰められていました。
日本の海軍戦力が壊滅していたからです。
太平洋戦争開始時、日本の海軍は多くの軍用艦を保有していました。ですが、終戦時にはほとんど残っていません。
戦艦11隻、航空母艦8隻、巡洋艦41隻、駆逐艦129隻、潜水艦67隻というのが開戦時の戦力でした。これが終戦時になると、即戦力としてカウントできるものは戦艦0隻、航空母艦0隻、巡洋艦0隻、駆逐艦16隻、潜水艦7隻とほぼ全滅状態です。
このようなありさまでしたから、オリンピック作戦で上陸しようとする敵に対して日本は特攻(特別攻撃)でしか対抗できませんでした。