太平洋戦争〜もう一つの世界線⑤
こんにちは講師のたかえもんです。
九州南部へと侵攻するオリンピック作戦。日本はこれに対抗するため決六号作戦を立てました。
しかしながら1945年当時、日本の海軍は壊滅していました。九州南部へと攻め寄せる連合軍の艦隊を迎え撃つ海上戦力は日本には存在しません。
そこで日本軍が予定していたのが特攻(特別攻撃)です。
太平洋戦争の中期以降、日本の航空機は連合軍に歯が立たなくなります。
機体数、パイロットの練度、バックアップ態勢、そして機体性能のほぼ全ての領域で日本軍は連合軍に劣るようになったからです。
こうした状況に加え、連合軍の艦隊は日本の航空機を迎撃する鉄壁の防空システムを完成させます。
①レーダーで攻撃してくる敵航空機を捉える。
②敵機を上回る数の戦闘機を迎撃に発進させる。
③味方の戦闘機が打ち漏らした敵機を高角砲で迎撃する。
④高角砲でも打ち漏らした敵機を大口径の機銃で迎撃する。
何重もの備えがされた連合軍の艦隊防空網に、日本の航空機は打ち落とされ続けます。
熟練部隊であっても全滅することが珍しくないほど、連合軍の防御態勢は強固なものへと進化していきました。
こうした状況では、パイロットが敵の攻撃をかいくぐりながら攻撃を命中させ、追撃を振り切って帰還するという通常攻撃は成功が見込めないものとなります。
日本軍の航空攻撃はシャットアウトされ続け、パイロットの未帰還者(戦死者)が増える一方となりました。
そこで登場したのが特攻(特別攻撃)です。特攻(特別攻撃)とはパイロットが脱出せず、爆弾ごと敵に突っ込む自爆攻撃のことです。
パイロットの生還がほぼゼロであるこの攻撃方法は、間違いなく最悪の攻撃方法です。
しかしながら、パイロットが爆弾を投下して生きて帰ってくる通常攻撃はほぼ成功しない状況です。どうせ死ぬのなら、攻撃が成功して死ぬ方がましだ。こうした考えがでてくるのは自然でした。
パイロットの死を前提とした特攻(特別攻撃)は、通常攻撃を上回る命中率をたたき出します。
人命を軽視するどころか人命を無視した外道の攻撃方法ですが、追い詰められた日本軍にとって最も「合理的な」攻撃方法でした。
防空システムを完成させ航空機の通常攻撃を封殺した連合軍ですが、特攻(特別攻撃)が実施されと被害が急増します。
生きて帰ることを前提としない特攻(特別攻撃)は、パイロットの生還を考えない危険な動きをし、被弾を無視して敵艦に体当たりします。命中率の高い誘導兵器が実用化の途中であった時代に、ミサイルが登場するようなものでした。
特攻は攻撃の命中率の高さ以外にも利点がありました。
従来の通常攻撃は、成功させるために何千時間という長い訓練が必要です。ところが特攻(特別攻撃)はそれほど訓練していない未熟なパイロットでも成功が見込めました。
太平洋戦争末期はベテランパイロットの多くは戦死していました。新たなパイロットを訓練する時間的余裕もない日本にとって、時間対効果という面でも特攻(特別攻撃)は優れた攻撃方法だったのです。
特攻(特別攻撃)は追い詰められて自棄になった日本の愚行と思われがちですが、純粋な戦術レベルではそれ以外の手段が無いほど優秀な手段でした。
しかしながら、それは話を戦術に限定した場合の評価でしかありません。総体としての評価はまた別となります。