ロシアのウクライナ問題について③

こんにちは講師のたかえもんです。帝政ロシア時代やソ連時代にロシアはウクライナの恨みを買うことを多くします。それが現在のウクライナの反ロシア感情の1つの原因になっています。今回は帝政ロシア時代の仕打ちをお伝えします。

ウクライナはロシアよりも先に発展した国で、ロシアの文化や歴史の起源はウクライナにあります。

たとえばロシア料理として有名なボルシチは、本当はウクライナ料理です。

本家ロシアとも言うべきウクライナですが、モンゴル帝国によって攻め滅ぼされて以降低迷を続けます。地理的には隣にポーランドという強国が存在し、常に脅かされる不安定な状態が続きました。

一方ロシアにとって、ウクライナは強国ポーランドの間にあるクッションの役割を果たしてくれました。ウクライナが盾となって、その陰でのびのび成長することが出来たのです。

最終的にウクライナとロシアの力関係は逆転し、ロシアがウクライナを支配することになります。

ウクライナとロシアは言語や文化がほぼ同じ兄弟のような国ですが、ウクライナを手に入れた帝政ロシアはウクライナを見下し圧政を敷きます。

ウクライナには黒土という栄養たっぷりの黒い土があり、「ヨーロッパのパンかご」と呼ばれた大穀倉地帯をかかえていました。

帝政ロシアはウクライナを手に入れると、農民を奴隷のように扱う農奴制を適用します。

農奴制とは農民に結婚や移動の自由を認めず、農民を領主の所有物扱いする制度です。領主が気まぐれに農民を殺害してもおとがめなしという過酷さです。

農奴制自体はロシア本国でも当たり前に行われていた制度ですが、ウクライナではこれを利用して飢餓輸出を行います。

帝政ロシアはイギリスやフランスといった国に比べてだいぶ遅れた国でした。そのため帝政ロシアは明治時代の日本のように、進んだ国に追いつきたくてしょうがない状態でした。

イギリスやフランスといった国に追いつくためには進んだ技術や機械を輸入するしかありません。しかし、進んだこれらの国に対して売れる(輸出できる)ものは農作物しかありません。

そこで、ウクライナの農民が餓死することなどお構いなしに農作物を税として奪い、外国に売り払うことにします。これが飢餓輸出です。

国内で餓死者が大勢出ますが、経済発展のために無視します。

当然ウクライナ人はこれに大反対しますが、帝政ロシアは力ずくで押さえつけます。

ウクライナ語をロシア語の一方言とおとしめ、ウクライナ語での書物の出版を禁止します。この時代、ロシアはウクライナのことを侮蔑的に小ロシアと呼ぶようになります。ロシアの辺境地域という意味が込めているので、現在のウクライナ人はこの呼び方を嫌います。

帝政ロシアは1917年のロシア革命で滅びます。ウクライナはこの機を逃さず独立しようとしますが、レーニン率いるソ連によって独立の悲願は阻止されてしまいます。

ウクライナはモンゴル帝国の侵攻から受難の歴史が続きますが、ウクライナ人にとっての本当の地獄はこの後に始まります。ソ連のスターリン時代のホロドモール、独ソ戦の殲滅戦争と悲惨すぎて現実感を失うような出来事が起こるのです。