マイナス×マイナス=プラスになるのはどうして?③
こんにちは講師のたかえもんです。今回は算数と数学の違いについてお伝えします。
「算数」は中学校になると「数学」に名前を変えます。理科や社会、国語といった科目は小学校も中学校も名前が変わりません。それなのに算数は数学と名前が変わってしまいます。よく考えてみると不思議な話です。
この名前の違いはそれぞれの目的が違うことを表しています。
「算数」は日常生活に必要な計算力を身につけることを目的としています。それに対して「数学」は日常的な感覚を離れて、数を使った法則やルールの理解を目的とします。そのため「数学」は「算数」にくらべ、抽象的で漠然としています。
たとえば、前回までマイナス×マイナスがプラスになるのはどうしてかというお話をしました。「そう決まっているから。」「計算のルールに従うとそうならざるを得ない。」「つじつま合わせ。」といったものがその理由でした。気持ちとしては納得しづらいと思いますが、これ以外の理由はありません。
どんなに考えてもマイナス×マイナスがプラスになる理由を、日常的な例に落とし込むことはできません。なぜなら、日常生活でマイナス×マイナスという計算をすることはありません。普段の生活のどんな場面でマイナス×マイナスをするのでしょうか?
このように、マイナス×マイナスという計算はそもそも日常生活では登場しない計算なのです。そうである以上、マイナス×マイナスがプラスになる理由を日常的な感覚で理解するのは無理です。
このマイナス×マイナスはプラスのように、「数学」は日常的な感覚と離れた領域を扱います。「算数」が日常的な感覚の領域を扱うのと対照的です。
「算数」は得意だったのに、「数学」になったらまったくわからなくなったという人がいます。これはマイナス×マイナスのように日常生活から離れたものを、無理に日常的な感覚に引き寄せて理解しようとして消化不良を起こしているのが原因の1つ考えられます。
数学には日常的な感覚では理解しにくいルールが多くあります。そういったルールに根拠はありません。これらは文法に近いものがあります。
たとえば、「ぼくはサッカーをした」という日本語があります。これを「ぼくをサッカーはした」と助詞の位置を入れ替えてみます。すると日本語として間違った文になってしまいます。何を伝えたいのか混乱します。
これは文法というルールを正しく使えていないために起こったものです。ですが、よく考えてみると変な話です。どうして「ぼく」という人間が「サッカー」というスポーツをしたと伝えるのに、「ぼくはサッカーをした」と書かないといけないのでしょうか?なぜ、「ぼくをサッカーはした」ではダメなのでしょうか?
「ぼくをサッカーはした」がダメな根拠はありません。ただ、文法というすでに出来上がっているルールに違反するからダメなだけです。そして文法自体に、現在の文法の形であるべき必然性はありません。なんとなく決まっているだけです。そのなんとなく決まっているルールに従うと都合がいいから従っているだけで、今のルールでなければいけない究極的な根拠はありません。
「マイナス×マイナスはプラス」に代表される数学の基本的なルールはこれと同じです。そう決めると都合がいいという人間の問題でしかありません。
数学はこのようにお約束として決まっているルールから出発して、複雑な法則に発展していきます。数学の根本にあるルールは、日常的な感覚で捉えられないものです。そのため、無理にたとえを使って理解しようとせず、そういう決まりの集まりが数学という科目だと受け入れるのが数学を理解する上で大切な心構えです。
算数から数学への切り替えがうまくいかない人はこう考えてみてください。