鎌倉幕府は何年に成立?

こんにちは講師のたかえもんです。今回はいままでと目先を変えて、歴史の話をします。歴史の何の話かというと、鎌倉幕府の成立した年についてのお話です。

鎌倉幕府の成立は1192年というのが一般的でした。「いい国つくろう鎌倉幕府」のごろ合わせがあまりにも有名ですね。

ところが数年前から、「鎌倉幕府の成立は1185年に変わった」という話が出てくるようになりました。一時はテレビでも取り上げられるくらいホットな話題でした。では2021年現在、鎌倉幕府の成立は何年になっているかというと、これが決まっていないのが現状のようです。これはどういうことなのか、順を追って説明します。

「いい国つくろう鎌倉幕府」の1192年は、源頼朝が征夷大将軍に就いた年です。日本の歴史では鎌倉幕府以外に2つの幕府が登場します。室町幕府と江戸幕府です。これらの幕府のトップが就く役職が征夷大将軍です。なので、源頼朝が征夷大将軍に就いたことを重視して1192年を鎌倉幕府成立の年と考えてきたわけです。

これに対して、「鎌倉幕府という組織の中身ができていたのは1192年より前で、それの後追いで征夷大将軍が与えられた」という主張が出てきました。これが鎌倉幕府1185年成立説です。ちなみに1185年というのは、源頼朝に守護と地頭の任命権が与えられた年です。守護と地頭を誰にするのかというのは鎌倉幕府の重要な仕事でした。この大切な仕事を源頼朝がするようになったのが1185年というわけです。

さあ、鎌倉幕府の成立について2つの説が出てきました。1つは鎌倉時代以降、武士のトップが就く役職となる征夷大将軍に源頼朝が就いた1192年説。もう1つは鎌倉幕府の中身ができた、源頼朝に全国の守護と地頭の任命権が与えられた1185年説。どちらもそれなりの言い分がありますが、「新説」ということもあって1185年説の方が勢いがありました。

しかし、1185年説には問題があります。それは、「中身」を根拠として鎌倉幕府の成立を1185年としますが、1185年は「中身」がまだ完全には整っていない時期なのです。

実は1221年の承久の乱で後鳥羽上皇を破るまで、鎌倉幕府は近畿地方や朝廷の領地に影響力が無い状態でした。承久の乱に勝利したことで、名実ともに鎌倉幕府が全国的な組織となったのです。となると、本当の意味での武士の時代の始まりとは1221年からとなってしまいますが、源頼朝が死んだのが1199年なのでこれは流石にどうかとなります。

そもそも鎌倉幕府という組織は段階的にできたため始まりが明確ではありません。最初は平家に対する関東の1反乱軍でしかなかったものが、平家や奥州藤原氏を倒し、承久の乱にも勝利して全国政権となったのが鎌倉幕府です。このように段階的に拡大した組織の始まりをどことするかは非常に難しいのです。

源頼朝が平家に対して挙兵した時期からと考えれば1180年からとなりますし、本当の意味で全国的な組織になったときからと考えれば1221年からとなります。こうなると解釈の問題です。

今年度から改訂された歴史の教科書では、鎌倉幕府の成立が何年なのかは書かれていません。

「1185年に源頼朝は守護と地頭の設置が認められた」、「1192年に源頼朝は征夷大将軍になった」と事実を述べているだけで、何年から鎌倉幕府が成立したかをはっきりさせてません。それどころか欄外で、鎌倉幕府の成立については1185年や1192年など諸説あるとしています。つまり、学校の教科書に則る場合、「鎌倉幕府の成立は諸説あって定まっていない」となるのです。

テストで「鎌倉幕府の成立は何年か?」といった問題は出ません。なぜなら、教科書で確定していないからです。それよりも、1185年と1192年に何が起きたかをしっかり覚えることが大切です。

来年の大河ドラマでは鎌倉時代のちょうどこの時期が題材となります。源頼朝が死んだあと、承久の乱を勝利に導いた北条義時が主役です。中学校の教科書には出てきませんが、鎌倉幕府を語る上で欠かせない人物です。ちょっとマニアックな人物ですが、良かったら見てみてください。歴史はこういったドラマから入るのがいちばん理解しやすいです。