must, have toのない世界

「〜しなければならない」
英語で言うとmusthave toに当たる言語を持たない人たちがいるそうです。

だから「明日までに宿題しなくちゃいけない」とか「テスト勉強しなきゃ」とか
言うことができないんです。

これ、どう思います?

「不便だなあ」と思います?

それとも、

「意外といいかも?」と思います?

使っている言葉が人間の認識を決める、という事実をご存じですか?

例えば、「車酔い」という言葉を知らない子どもがいて、
その子は一度も車酔いをいたことがなく、

ぐるぐるがたがた道の車内でも
平気でゲームをやったり漫画を読んだりしていたそうです。

ある日、大人たちが車酔いの話をしていたので、
ついつい「ねえねえ、車酔いってなあに?」
と聞いてしまったそうです。

するとその日から、車に乗るたびにゲーゲー吐くようになってしまったそうです。

かわいそうですね。

車酔いという言葉知らなかった時は
その子にとって車酔いは存在していなかった、
ということです。

と、このエピソードから類推すると、

「〜しなければならない」という言葉のない世界では
もしかしたら「しなければならないこと」が存在しないのではないか?

と、思ったわけです。

私は昔から「しなければならないこと」が嫌いでした。

「しなければならないこと」は、しなければならないので
もちろんやりはしますが、なんか縛られている感があって嫌でした。

私のように自由が好き、支配されるのが嫌い、というタイプの人は
「しなければならないこと」が存在しない世界って憧れるのではないでしょうか?

すでに知ってしまっているので、完全に無くすのは難しいですが、
試しに「〜しなければならない」を使わずに生活してみるのも面白いかもしれません。

私なら「さあ、これから夏期講習の準備ができるぞ」とか
学生なら「明日までに数学のワークを提出できるぞ」とか
主婦なら「これから家族の夕食を作れるぞ」とか…。

must(〜しなければならない)のかわりにcan(〜することができる)を使ってみるとちょっとだけ気分が違ってくるかも?