太平洋戦争〜もう一つの世界線⑧

こんにちは講師のたかえもんです。

連合軍(アメリカ軍)による九州南部を制圧する「オリンピック作戦」は、日本制圧を目指す「ダウンフォール作戦」の前段作戦でしかありません。本命は東京制圧を目指す「コロネット作戦」です。

図式化すると「ダウンフォール作戦」=「オリンピック作戦(九州南部制圧)」+「コロネット作戦(東京制圧)」となります。

「コロネット」とは王子や貴族がかぶる冠のことを指します。これとは別に、王様や王妃がかぶる冠はクラウン(王冠)と呼ばれます。つまりコロネットは、王冠(クラウン)の1つグレードが下の冠ということです。ちなみに、コロナウィルスの「コロナ」はラテン語で「冠」を意味する言葉です。この言葉はコロネットやクラウンの語源にあたります。コロナウィルスはその形状が王冠みたいだったため、「コロナ」ウィルスと名付けられたそうです。

話を元に戻します。九州南部を制圧する「オリンピック作戦」は、関東地方を攻撃するための航空機の基地確保を目的としていました。九州南部に巨大基地を建設し、関東地方を攻撃する航空機を何千機と送り込もうとしたのです。

「コロネット作戦」は1946年の3月1日を予定していました。日本が降伏したのが1945年ですから、史実通りに降伏をしなかった場合の約8ヶ月後にあたります。

この作戦は「オリンピック作戦」と違い、内容がそこまで詰められていません。細かい内容を決める前に日本が降伏したからです。

ですが大まかな方針は立てられていました。千葉県の九十九里浜と神奈川県の茅ヶ崎や平塚に上陸し、2方向から東京攻略を目指すというものです。

①1945年8月

「コロネット作戦」の事前作戦を開始。関東の都市や道路、鉄道などを目標とした攻撃を始める。

②1946年2月11日

九十九里浜や相模湾の湾岸都市への艦砲射撃の本格化。

③1946年2月16日

日本全土および朝鮮、台湾、中国(日本軍が占領している地域)への爆撃の強化。

④1946年2月24日

本命の関東上陸を欺瞞するため、仙台湾の湾岸施設への爆撃や艦砲射撃を実施。

1946年3月1日

「コロネット作戦」発動。九十九里浜と茅ヶ崎、平塚への上陸を開始する。

「コロネット作戦」では「オリンピック作戦」を上回る、100万人規模の兵力が投入される予定でした。

「コロネット作戦」は千葉県と神奈川県の2方向から東京を目指す作戦ですが、神奈川県上陸の方を重視していました。

これは千葉県の九十九里浜に上陸して東京を目指す際、途中に江戸川と荒川があって大変だという理由です。

川を渡って攻めるのは現代でも大変です。そうした負担は神奈川県に上陸した方が少ないというのが連合軍(アメリカ軍)の判断でした。

「コロネット作戦」で茅ヶ崎や平塚に上陸することになっていますが、小田原はそのすぐ隣です。当然、連合軍(アメリカ軍)迎撃のため日本軍は小田原に陣地を形成しています。

そのため、小田原にも爆撃や艦砲射撃が予定されていました。もし日本が1945年に降伏せず「コロネット作戦」が発動していたら、小田原は廃墟になっていたはずです。

結果として小田原はそこまで大規模な攻撃を受けずに終戦を迎えられました。もし1945年に終戦を迎えられていなかったら、先祖にあたる人の多くが死んでしまって生まれてこなかった人が相当いると考えられます。