ロシアのウクライナ問題について④
こんにちは講師のたかえもんです。1917年、帝政ロシアがロシア革命で滅びてソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)ができます。
帝政ロシアが消滅したことで、ウクライナは独立しようとしますがソ連に阻止されます。
ウクライナは土地に栄養があり、農作物がたくさん取れる土地です。できたばかりのソ連は帝政ロシアがそうであったように、技術の遅れた国でした。技術が遅れているため、ソ連が外国に売れるような品物は農作物しかありません。そのため「ヨーロッパのパンかご」であるウクライナをソ連は手放すことができなかったのです。
当然ウクライナ人はソ連から独立しようとします。ですが、ソビエト・ウクライナ戦争でウクライナ独立派は負け、ソ連時代も帝政時代にと同じようにロシア人の支配を受けることになります。
ソビエト・ウクライナ戦争で独立に失敗しますが、ウクライナ人にはソ連から独立しようという気持ちが強く残り続けます。
そうした中、ソ連のトップであるレーニンが病死し、スターリンがソ連のトップに立ちます。
「スターリン」という名前は「鉄の男」という意味のペンネームで、本名ではありません。
この男はその名の通り、どんな犠牲を払ってでも目的を達成しようとする鉄の意志を持った男でした。
スターリンの目標はソ連を世界でトップの国に立たせることです。そのためなら、人権や人命を踏みにじることにためらいを感じません。
スターリンはウクライナ人に過酷な農作物提供のノルマを課します。このノルマは本当に厳しいもので、自分たちが食べるものすら残らないほどでした。この結果ウクライナでは大飢饉が発生します。このスターリンによる人為的な大飢饉をホロドモールと言います。
スターリンにとってホロドモールは2つの目的が達成できる一石二鳥のアイディアでした。
1つは、ウクライナに存在する反ソ連的な人間を抹殺できることです。無実の人間を巻き込むことになっても、それでウクライナから反ソ連的な人間を排除できれば良しというのがスターリンの考えです。
2つ目は、ソ連の技術引き上げのためのお金や物資の確保です。
ソ連が他国に売ることができる主力商品は農作物でした。ウクライナや国内で餓死者が出てもお構いなしに農作物を売り払い、先進国に追いつくためのお金や物資を獲得しようとします。
こうした飢餓輸出は帝政ロシアとまったく同じです。しかしながらスターリンは帝政ロシアよりもはるかに多くの犠牲者を出します。
スターリンによる農作物提出のノルマはとても厳しく、許可なく落ち穂拾い(麦を刈り取った後にこぼれ落ちていた穂を拾うこと)をするだけで逮捕され10年の強制労働を課せられました。食べ物がほぼない中での強制労働は実質的な死刑です。
また、、子どもをさらって食べたり、実の子どもを親が殺害して食べるという事件が横行します。餓死者が道ばたに転がっているのも当たり前の光景にもなりました。
少ない見積もりでも300万人、多い見積もりでは1450万。これがホロドモールの餓死者です。
300万人という死者数であっても、太平洋戦争での日本の死者と同じ数です。スターリンはホロドモールで太平洋戦争の日本人よりも多いウクライナ人を死に追いやったのです。
あまりに異常で現実感のない死者数ですが、この時に獲得したお金や物資が後に起きるナチスドイツとの戦争でソ連を勝利に導きます。大量の死者を出して稼いだお金で他国から手に入れた技術と機械が、ナチスドイツの侵攻をはねのける原動力になりました。
このことがスターリンという独裁者の評価を複雑なものにします。凡百の独裁者と違い、スターリンによる過酷な独裁体制はソ連という国家を守り、強くしました。ただの独裁者であれば国を傾けたり滅ぼしたりするところですが、スターリンはソ連という国家を救います。
しかしそのために払った犠牲はあまりにも大きく、そんなにも多くの犠牲を出さなくてはいけなかったのかと思わずにはいられません。
ホロドモールでスターリンはウクライナにいる反ソ連的な人間を抹殺しようとしますが、逆にソ連に恨みを抱く人間を増やすことになります。こんな仕打ちを受けたら当然です。
こうしたソ連に対する恨みが爆発するのがナチスドイツによるソ連侵攻の時です。
次回は独ソ戦でウクライナが経験する、さらなる苦難の歴史をお伝えしていきます。