夢を持ちにくい時代
「今の子どもには夢がない」
みたいなことを言う人がいます。
でも、私個人としては
「こういう時代に生きていれば、
自然とそうなるんじゃないか」
と思ったりもします。
今の日本は特に努力しなくても
そこそこ楽しめてしまいます。
スマホやゲームがあれば十分、
という子がほとんど。
それにアニメとカラオケと…。
やりたいことが全部、
すでに出来てしまっているのです。
欠乏感があまりないので
上昇志向も生まれにくいのではないか、
と思うのです。
なので、勉強を頑張って上を目指そう、
という発想にもなりにくい。
一昔前、
それこそ高度経済成長期とかであれば
そういう子どもも少なくなかったでしょう。
努力してもっと豊かな生活を送りたい。
そのためにはいい会社に就職しなければ、
そのためにはいい大学に合格しなければ、
そのために今頑張ろう、
という典型的な上昇志向。
今はこれがない。
いや、別に私はこれを嘆いているわけではありません。
昔はよかった、とか言っても意味はないので。
では、何が言いたいかというと
だからこそ「なぜ勉強しなければならないのか」
ということを再検討するべきだと思うわけです。
親や先生たちは
まだ昔の考えをなんとなく引きずっています。
なので、特に勉強する理由を子どもに伝えず
「まあ、やるのが当たり前だよねえ」
という無意識のメッセージを送っています。
でも、今の子どもたちにしてみれば
その「当たり前」が当たり前と感じられていない。
そこに大きな溝があります。
親や先生、つまり我々大人たちと
今この時代を生きる子どもたちとは
「見えている未来があまりにも違う」
と私は感じています。
これは机上の空論ではなく、
塾生たちと関わっている日々の中で
実感していることです。
「なぜ勉強しなければならないのか?」
これを子どもたちに関わる大人一人一人が
改めて考える必要があります。
もちろん、答えは一つではありません。
いろんな角度からいろんな立場から
いろんな答えが出てくるでしょう。
人によって違っていいと思います。
そもそも勉強する必要はないのでは?
こういう答えだって、立場によっては
あり得ます。
大事なのは、
ありきたりの回答ではなく
自分の言葉で伝えていくことです。
「この大人が言っていることは本音なのか?
それとも建前なのか?」
こういうことには、子どもたちはやけに敏感です。
そういう意味では誤魔化しがききません。
まずは私自身が改めて自分に
問いたいと想います。
「なぜ勉強しなければならないのか?」と。
では、また。