私の勉強法遍歴①〜小学生時代〜
ども。塾長の佐々木です。私が子どもの時から最近に至るまで、どのような勉強法を試みてきたかについて、シリーズで書いていきます。ほとんど自分自身の振り返りのために書くのですが、もしかしたら読んだ人の参考になる部分もあるかな、と淡い期待をしつつ。
まず小学校時代。たいていの小学生と同じように、学校の先生に出された宿題を素直にこなすだけで、独自の勉強法はなかったと思います。
記憶にあるのは夏休みの日記の宿題。小学校低学年の頃の日記がまだ捨てずにとっておいてあります。日記を書くのは、好きというほどではありませんでしたが、それほど嫌いではありませんでした。
先生が赤ペンで書いてくれるコメント、あれが意外と嬉しいんですよねー。家族で丹沢のバンガローみたいなところに泊まりに行ったことがあるのですが、その時の様子も日記に書いてあるので、懐かしいです。弟が川で流されてたのを父が助けた場面など、日記のお陰でありありと思い出すことができます。
人生の中で何度か日記を書いた時期がありますが、読み返すと不思議な気持ちになり、「書いて(書かされて)よかった」とつくづく思います。漢字や言葉遣いを覚えるのにも、日記はとてもよい手法だと思います。
あと、小学生の時は、これも定番ですが漢字の書き取りの宿題が多かったですね。面白くともなんともありませんでしたが、素直にやっていたと思います。
小学5年生の時に東京の多摩ニュータウンという開発したての地域に引っ越し、出来立ての新設校(5年生は1クラスしかなく、しかも15人!)で新人の先生が担任になりました。馬場先生という男の先生で、独身アパートに招き入れてくれたり、生徒たちを多摩動物園に連れて行ってくれたり、授業を中断して近くの丘に連れ出してくれたり、という、今では大問題になりそうな楽しいことばかりやってくれる先生でした。
その馬場先生から「家庭学習ノート」という毎日の宿題を出ていました。大学ノートを見開き2ページを使って、左のページには日記と漢字や計算の練習、右のページにはテーマを決めて調べたことを書く、といったものです。これもいまだにとっておいてあるので、時々読み返しては、懐かしんだり笑ったりしています。日記に対する馬場先生のコメントがモチベーションでした。右側のページは、特に内容が良い時はシールを貼ってくれることになっていて、これが欲しくて頑張った記憶があります。
今こうして思い出すと、小学生の時は、先生との文章での交流がとても楽しみだったようで、それが私を文章好きにさせてくれたのかもしれません。
あと、今急に思い出したのですが、小学校低学年の時は、誰に頼まれたのでも強制されたのでもなく、やたらと数を数えたり、計算したりしてました。例えば、歩きながら、ずーっと1、2、3…とただただ数を数えるのですが、何百何千、とぶつぶつと唱え続け、パートから帰ってきた母に「お母さん!今日は1万9千まで数えたよ!」とか報告していました。母親のリアクションは覚えていませんが、やたらと誇りに思っていた自分の感情は覚えています。よほど暇だったのでしょうが、変な子どもですね笑
あと1分は60秒で1時間は60分、だから1時間は3600秒で、えーと1日は24時間だから、とか計算し続けて、「お母さん、今年はあと残り○○秒だよ!」とか言って今で言うドヤ顔をしていました。うーん、この頃は結構数字が好きだったようです。
なんか、いろいろと記憶が蘇ってきて楽しくなってきました笑