太平洋戦争〜もう一つの世界線⑮
こんにちは講師のたかえもんです。
長く「ダウンフォール作戦」についてのお話をしてきましたが、今回でラストになります。
1945年9月2日に日本はポツダム宣言に調印し、第二次世界大戦・太平洋戦争は終結しました。
日本が降伏しない場合に立てられた日本本土上陸作戦が「ダウンフォール作戦」です。
「ダウンフォール作戦」は九州南部を制圧する「オリンピック作戦」と、関東を制圧する「コロネット作戦」の二段階からなる作戦でした。
九州南部を制圧する「オリンピック作戦」は1945年11月1日に発動が予定されていました。また、関東を制圧する本命の「コロネット作戦」は1946年3月1日に発動を予定されていました。
九州南部を制圧する「オリンピック作戦」では連合国軍(アメリカ軍)70万人以上、関東を制圧する「コロネット作戦」では100万人以上が参加することになっていました。
連合国軍(アメリカ軍)の「ダウンフォール作戦」に対抗して、日本では「決号作戦」が立てられます。
航空機などによる自爆体当たり攻撃の特攻(特別攻撃)で上陸直前の船団を減らし、上陸に成功した残存部隊を「沿岸配備師団」が拘束、拘束中に「機動打撃部隊」が急行して打撃を与えるという予定でした。
しかしながら、さまざまな理由でこの本土決戦は実行されずに終わりましす。
住民の避難ができなかったり、物資の不足が問題になったからです。
とりわけ日本を海上封鎖した「飢餓作戦」の効果は大きく、1000万人以上の餓死者が出ることが確実な状態に追い詰めます。
最悪の破滅をむかえる一歩手前で日本の指導者は理性的な決断をします。「決号作戦」の実施を諦め、連合国軍(アメリカ軍)に降伏します。
もし「決号作戦」が実施されていたら、日本は現在のような豊かな国にはなっていません。膨大な死者を出し、再起不能になっていた可能性が高いです。
歴史という過去の出来事を学ぶ1番の意義は「過去の失敗を知り、同じ失敗を繰り返さないようにすること」にあります。
日本は過去に外国を相手に本土決戦をしようとしました。しかしながら、島国であることの弱点を的確に突かれ、本土決戦をする前に敗北します。
日本の弱点は必要な物資を自国でまかなうことができないため、船を使った海上輸送が生命線になることです。海上輸送が遮断された場合、日本は衰弱死します。
太平洋戦争末期、日本の船は連合国軍(アメリカ軍)に待ち伏せされて壊滅し、機雷で港や瀬戸内海が封鎖されて日本の物流は崩壊しました。
ここから得られる教訓は、日本の地理的特徴は守りに適していないということです。
さまざまな物資を自給できず輸入に頼っているため、いざという時に窮乏しやすくなります。
戦前の日本もそうした弱点を認識していました。ただ、その弱点の解決を無謀な軍事力による領土や影響圏の拡大という手段に頼ってしまいました。
その結果、明治時代以降に積み上げてきたものをほぼ全て失うことになります。
戦後の日本はこの失敗を活かし、海上輸送をする際の通り道にある国々との友好を深めます。
戦前のような自国のむき出しの軍事力に頼らない道を進んだのです。
「ダウンフォール作戦」という過去の計画を振り返ることで、現在にもつながる日本の弱点が見えてきます。
海上輸送路が脅かされる時、日本は大きなダメージを負います。そうならないよう平和的なアプローチを第一にしつつ備えることが大切です。
歴史は過去を照らす学問ですが、過去を照らす灯りは間接的に未来も照らします。未来を照らすほのかな灯りを活用することこそが歴史を学ぶということです。