手抜きは駄目ですか?
なんでも一生懸命に全力でやること。
勉強も運動も人間関係も常に全力投球。
これを美徳としている人たちがいます。
素晴らしいことです。
が、誰もがこのような人になる必要はないし、なれる訳でもない、と私は思っています。
だって、毎日こんなことやってたら、疲れちゃうじゃないですか。
長期的には続けることが出来ませんよね?
全力で取り組むことと、手を抜いてもいいことをもっと明確に分けたっていいのではないか、と思うわけです。
具体的に言いましょう。
例えば、学校の宿題。
小中学校の宿題。はっきり言って、「この宿題意味あるのかなあ」と思うような内容の宿題もあります。
でも、小学生くらいだとそもそも「意味があるか、ないか」を考えることもできなかったりするので仕方ないとしましょう。
中学生になってくると、あまり意味のない宿題だと思っても、やって提出しないと学校の成績、いわゆる内申点が下げられたりします。
内申点を下げられないため、あるいは上げるためには手を抜かない方がいい。
でも逆に「内申点なんてどうでもいい」と思っているのであれば、手を抜いたっていいわけです(推奨している訳ではありません。選択の自由がある、という話です)。
高校生になってくると、全ての宿題を完璧にやっている余裕はなくなってくる、というケースが結構増えてきます。
特に大学を一般受験する予定の高校生は、受験科目とそれ以外の科目を平等に勉強する、というわけにもいかないわけです。
ここで必殺「手抜き」の登場です(笑)
もちろん宿題を全くやらずに進級出来なかったら、さすがに困ります。
でも、留年しない程度に手を抜くのは、ありだと私は思います。
以上はほんの一例ですが、
「自分は今何を大事にしたいのか」「何を目的にして生きているのか」によって、何に全力を注ぎ、何に手を抜くのかを決めていいと思います。
「うちの子は要領が悪い」
とか
「ポイントをつかむのが下手」
という親御さんがいます。
でも、それは実は手の抜き方を知らないからかもしれません。
要領やポイントをつかむというのは、それ以外を切り捨てる、ということと同じです。
個人が持っている時間にもエネルギーにも限界があるわけですから。
「手を抜くな、でも、ポイントは掴め」では、そりゃあ、精神も病みますよ。だって、不可能なことを押し付けられているわけですから。
大げさに聞こえるかもしれませんが、矛盾しているメッセージを与えられ続けていると、統合失調症になる、という説があるのです。
ポイントをつかむ=上手に手を抜く
これも「生きる力」の一つだと私は考えます。
適度に手を抜くというのは、精神の健康のためにも、本当に大事なことに全力を傾けるためにも、必要なことです。
「手を抜く」という言葉に罪悪感を持っている人が多いのか、こういうことを言う人が意外と少ないので、記事にしてみました。
*写真は私の描いた「手抜き」バイキンマン。似てなさすぎて中学生たちの失笑を獲得。